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「割合」という言葉が浮かんだ,「トウキョウソナタ」

項目をあげていたにも関わらず今まで手をつけなかった項目「映画」。

遅ればせながら,ということでは,「トウキョウソナタ」を今取り上げるということも「遅ればせながら」です。

 リストラしても家族にいえない・・・お父さん
 ドーナツを作っても食べてもらえない・・・お母さん
 アメリカ軍に入隊する・・・お兄ちゃん
 こっそりピアノを習っている小学6年生の・・・ボク
                                  「公式ホームページ」から

家族の構成員としてのそれぞれの生活が,それぞれが生きる生活場面で映し出されている物語です。

 ある日突然「あなたは会社のために何が貢献できるのですか?」と問われてリストラを
   宣告されるお父さん
 フリーターをしているお兄ちゃんが受け取ってもらえないチラシを川へ放り出す場面 

などなど。それぞれの「場面」に映し出された数々の「不協和音」が視覚的に残りました。

生活場面には,もちろん「帰ってくる家」の場面もあるのですが,ここでも不協和音がいっぱい。家族はお母さんを通して,家での生活を協和させようとするのですが,うまくいかない。それに疲れてしまっているお母さん。お母さんであることにも疲れてきている。

 映画でみられるようなことがリアリティである割合
 リストラやフリーターになるということの割合
 こういう家族の存在の割合
 「幸せ」と感じられないことが起こる割合

最後の場面まで連続する不協和音に,これらの割合が高いと感じざるをえず,響き合えることが少ない実社会の疲弊感が重なり胸を締めました。

そして,最後に期待されていなかった「ボク」のピアノの才能に,社会とお父さんとお母さんが協和を示す。したいことがみつからなかったお兄ちゃんが,アメリカ軍に志願して行った中東で自分の居場所を感じ,そこに残るという。

 もっとも期待されていなかったところに協和する割合
 理解されずともそこに幸せを見出す割合
 受け入れることで幸せを見つけ出す割合

割合としては低いところに協和する光を「見て」,この映画は終わります。「ボク」のピアノに引きつけられているんだけど,拍手をしない観衆の姿も印象深かった。そこへ歩みよる「お父さんとお母さん」。唯一,協和する場面が視覚的に描かれている場面でした。

お父さんが交通事故にあって,縁石に片足を上げ道にころがっている場面。白いバンが見えたとき,「交通事故にまであうのか」と想像をするのですが,横たわるお父さんには悲壮感を感じさせない。この場面の解釈は難しかっただろうなと思いました。とても心に残った場面。香川照之という俳優のファンになりました。

いっしょにみていた息子ビロが一言,「いい映画やった」。ふぅ~ん,君にも感じることのある映画だったんだ。

by marvelous-days | 2009-07-26 09:54 | 映画  

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